寄稿シリーズ:「書籍の中の杭州 その1 - 街道をゆくシリーズ:中国・江南のみち(司馬遼太郎)」
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「さらにくだると、構造のがっちりした大きな楼門があり、金塗の額に、「岳王廟」とあった。南宋の武人岳飛(1103~41)の廟である。
岳飛は一介の武人で、むろん王などではなかったが、その死後、庶民がかれを敬愛したために南宋の朝廷も黙しえず、死んで六十三年後に鄂王という王号を追贈した。通称は、岳王である。(中略)
岳王廟は「関帝」ほどには民間信仰の対象にならず、その廟所は、かれの墳墓のあるこの場所にしかなさそうである。」
司馬遼太郎 「街道をゆく19 中国・江南のみち <岳飛廟>」朝日文庫より
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1975年、日本の国民的作家司馬遼太郎の一行は、無錫から蘇州、杭州を経て紹興、寧波にいたる江南の地を旅しています。
杭州では西湖を巡り、霊隠寺の弥勒菩薩(布袋)を観、竜井の西湖人民公社双峰大隊を訪ね、茶と急須の伝来を考察します。一行がたどったコースも、概ね今の観光ルートに重なり、訪問先の印象も30年以上の歳月、古さはほとんど感じさせません。
岳王廟は、西湖蘇堤の北辺、北山路にある有名な旧跡。
日本の明治維新の原動力、「尊王攘夷・尽忠報国」の水戸国学は宋学が出自。その宋学の本山、南宋の憂国の英雄へ注ぐ視線は、回天期の日本を書き続けた司馬らしくいかにも奥深いものがあります。
彼が訪れた時、岳王廟門内の建物は既に再建物後、さらなる修復はあれ、今の姿と大差はなかったでしょう。
ただし、門外は一変です。作家が見た洗濯物が翻り、子供らが遊ぶ長屋門の道沿いの白壁は、今や商業発展を謳歌する土産物屋や珈琲バー、ファーストフードチェーン店のカラフルな看板の並びに変わり、連日大勢の観光客で大賑わいです。
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