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公開日:2012.04.17  / 最終更新日:2012.05.01

寄稿シリーズ:「書籍の中の杭州 その2」 2012/04/17

寄稿シリーズ:「書籍の中の杭州 その2 - 空海求法伝 曼荼羅の人(陳舜臣)」

私事で恐縮です。仕事柄、月に二、三度、事務所のある杭州市西湖区から蕭山区へ銭塘江を渡ります。ゆったりとした川の流れに感激し、その広さを実感すべく、駐在初年の夏、六和塔から銭塘江大橋を徒歩で越えたことがありました。

杭州の夏は気温40度を越え、半端な暑さではありません。日陰の無い大橋も短い距離ではなく、汗でヨレヨレ、もう二度と、と堅く決心いたしました。我ながらホントに酔狂。

銭塘江が有名なのは旧暦九月、大潮時の潮水逆流。世界でも南米アマゾンと銭塘江だけで見られる珍現象です。大逆流の年は波の高さが十メートルにも及び、ニュースになり、観潮ポイントへの観光バスも出ます。2005年、私も観潮ツアーに参加しました。

逆流は自然の奇観、寄せる波の海に慣れた島国人の目には、彼方に白い波頭が見えてから、あわ立つ一波が目前を過ぎるのに悠に十五分、ゆったりのんきな光景に映りました。

さらには珍しくはあるが、あまり美しくはない、とも思いました。
水の色はこの国特有の細かい沙、粘土質を含んで濁ります。私の故郷、愛知木曽三川も決して清くはないが、小学生の夏休み、砂地の河原で靴を脱ぎ、水に足を入れることに躊躇なく、しかし逆流する黄色い泥水に、小指なりとも浸けたいとは思えませんでした。

古き昔、この銭塘江をもっと別の視点、別の感慨で眺めた人がいます。
銭塘江は寧波で東シナ海へと注ぎ、その先は大和の国へとつながります。西は京杭運河で黄河へ、そして大唐文明の粋、きらきらしい長安の都へと続きます。

一連の水の道は、大和の民にとっては渡海遭難の恐怖とともに、選ばれた国の留学生(るがくしょう)のみに許された晴れがましき憧れの道でした。

延歴二十三年(804年)発の遣唐使一行、讃岐国出身で日本の真言密教の巨星、弘法大師空海が、正にこの文化の水の道を旅しておりました。
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「別駕の句ではないが、あなたはいったい、万里の外からなにをしにきたのですか?」

惟上は軽いため息をまじえ、空海をみつめてそう訊いた。
杜知遠がそばでうなずいた。松柏観で知り合ったときから、彼はおなじ疑問をもっていたのである。
「さあ。・・・・・」空海は銭塘江の水に目をむけ、すこし首をかしげた。―「いろんなことを学びに来たのですよ。いろんなことを・・・・・」
一行は銭塘江をくだって杭州に着き、そこではじめてまる一日、旅をせずに城内にとどまった。
- 陳舜臣 「空海求法伝 曼荼羅の人 <星発星宿>」集英社文庫 -
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2012 © 宮下江里子@杭州超海科技有限公司
(Hangzhou Chao-hi Co. Ltd.)

寄稿シリーズ:「書籍の中の杭州 その3」はこちら
寄稿シリーズ:「書籍の中の杭州 その1」はこちら

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