キャロライン・ケネディー新駐日大使が着任されました。
初めての日米間のTV中継がケネディー暗殺事件でした。
当時、6歳のあどけない少女の姿が想い出されます。
あれからもう50年も経っているのですね。
1963年11月26日朝日新聞夕刊に「北京の反応」というコラムがあります。
同じ共産圏でも中国とソ連の対応が違うという趣旨のコラムです。
中国では簡単な報道のみで北京政府からの公式な弔電もありませんでした。
一方、ソ連からは世界平和のため大きな打撃として丁重な対応でした。
弔電だけでなく、ソ連首脳が在モスクワ米大使館におもむいて弔意をあらわしました。
このことを取り上げて、あまりの違いとコメントしています。
当時は、米ソ両国が軍拡競争をしていた東西冷戦の時代でした。
米を中心とした自由主義圏はソ連などの共産圏に対して輸出統制をしていました。
COCOMという戦略物資の輸出貿易管理体制が敷かれていました。
その後、米ソ冷戦は徐々に雪解けとなり、対共産圏への管理は役割を終えました。
しかし現代になりテロや軍事紛争を防止するための輸出貿易管理が必要となってきました。
そのため輸出貿易管理体制(ワッセナーアレンジメント)がCOCOMから引き継がれました。
先端材料などの汎用品についても軍事転用されないように輸出管理が行われています。
日本の外為法(輸出貿易管理令)は、このワッセナーアレンジメントに準じています。
ケネディー新駐日大使の着任に際し、輸出貿易管理体制の変遷を思いおこしました。
関連コラム:
ココム規制とワッセナーアレンジメント 2012/01/19
2013/11/18