戦後の日米経済の橋渡しをしたのは、このような経験をした日系アメリカ人の人たちでした。|日系アメリカ人と日米経済

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公開日:2011.08.22  / 最終更新日:2016.06.28

日系アメリカ人の果たした役割 

昨晩、NHK TVで、アジア系として初めて米議会閣僚となった下院議員ノーマン・ミネタ氏へのインタビュー番組が放映されました。

10年前の911テロの際に、イスラム系への差別をしないように冷静な行動を求め、正しい意味での愛国心を訴えたのがノーマン・ミネタ氏でした。
第二次大戦時に日系人収容所での経験をした日系アメリカ人として、戦争でも、テロでも、偏見や差別をなくし、お互いに知ることの大切さが大事だと強調されています。

戦後の日米経済の橋渡しをしたのは、このような経験をした日系アメリカ人の人たちでした。
日本商品の米国進出への紹介役として、日本が外貨管理下にあった頃のサポート役として、現在の日米経済の基礎を築いたのは、日系アメリカ人のたゆまぬ努力によるものです。

筆者は、日系アメリカ人の方に20年以上大変にお世話になりました。
彼は、シアトル生まれの2世で、マイノリティーとして偏見と差別の中で苦労したこともあって収容所のことについては多くを語ることはありませんでした。

1980年に青木功プロがUSオープンで、帝王ジャック・二クラスと4日間の激闘の末、1打差で2位になったことがありました。
その日の晩に初めて話しを聞いたことがあります。。。よほど嬉しかったのでしょう。

2011/8/16

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