一般的に過労死レベルの残業とは、80時間/月と言われています。週休二日制であれば土日はしっかりと休んだ上で、残りの5日間一日当たり4時間の残業をすると、このラインに到達することになります。
銀行は労働集約型産業の典型みたいな印象がありますが、確かに過去はその事実は厳然としてありました。振り返ると一番労働集約していたのが、バブル景気の時代でした。今回はこの時の勤務状況を見てみたいと思います。ちなみに今は流石にこんな事はありません。あくまでも過去のお話です。
当時の就業規則で定められていた就業時間は、開始が8時40分(8時50分の時期もありました)で、終了が17時でした。(24時間制で書いています)昼食休憩が1時間とすれば、実働は7時間チョットになります。残業はこの時間帯を越えて就業する事で発生するのですが、ここで注意点が一つ有ります。
時間外勤務=残業とすると、残業=終業後と思い込みがちです。しかし始業時刻以前にも時間外はあり得ます。現に当時は鍵番と呼ばれる担当者が銀行の通用門を解錠し、機械警備を解除して入店し、金庫のダイヤル解錠も行っていました。これを始業時間にやっていたのでは、到底開店時間に間に合いません。
私も「出納元方」を担当していた時期は手の遅さもあって、金庫から現金を出しての預払機への詰め。大口出金の事前取り置き。各担当者への手元現金の配分。前日作成の現金資金繰り表による現金センターとのやり取り。これらを行うのに正味1時間は必要でした。ちなみに「出納元方」は「すいとうもとかた」と読みます。店の金庫番です。
外為担当となっても開店と同時に店頭に来られるお客様も多々あり、準備しながら顧客対応をするわけにも行きません。つまりどのポジションであっても1時間ぐらいの早出はあり得ました。つまり既にお話した4時間の内業務終了後に回せる時間は、いいとこ3時間となるわけです。3時間となると17時終業から数えて、20時がその時間となります。この時間皆さんどう思われますか。
当時の自分を振り返ってみると随分早い時間だな、という印象です。当時帰店が18時頃でしたのでそこから1時間程度は、持ち帰り物件の整理をしていました。そして机の上に残されているメモ。これに基づき本部照会に回答したり、顧客問い合わせに対応していれば、更に1時間ぐらいはあっという間に経ってしまいます。
そこから会議や打合せがあると、もうそれだけでゲームオーバーです。しかしそこで「お先に失礼します!」とは行きません。稟議や顧客プレゼン書類の作成、そして上席へ当日報告があります。最も忙しかった時期にはとにかく深夜残業の手前で打ち切り!!
これが営業担当全員の合い言葉になっていました。当時の記憶がおぼろげなのですがこの時間が22時だとすると、17時からの残業は5時間。朝1時間と併せて6時間/日となります。これに20労働日を掛けると120時間/月。なんともすごい数字です。
今は朝も夜も残業は思いっきり短くなっているようなので、この数字はあり得ないと思いますが、当時の感覚では土日が完全に休めるのなら特に問題なし。こう考えてました。流石に土日出勤は頭に来てましたが。
やはりこのような問題には時代の流れが大きく影響するようです。過労死レベルの残業についてでした。
2021/06/27