寄稿シリーズ:「書籍の中の杭州 その6 -江南游記 (芥川龍之介)」
「ジョン・ブルは乙に澄まさなければ、紳士でないと思っている。アンクル・サムは金がなければ、紳士でないと思っている。ジャップは、――少なくとも紀行文を草する以上、旅愁の涙を落としたり、風景の美に見惚れたり、游子のポオズをつくらなければ、紳士でないと思っている。」
大正十(1921)年三月、芥川龍之介二十九歳、大阪毎日新聞海外視察員。上海上陸直後、乾性肋膜炎での入院がケチの最初、三週間後、ようやく杭州への旅立ちが叶いました。
この事態を彼一流のシニカルさ、「游子のポオズ」の苦笑いから始めた芥川先生、体調不良の故か、見るもの聞くもの気に入らぬ。中国絵画的風景の西湖も俗化観光地化が鼻につき、辛辣な筆は止まりません。加えて、杭州旅行の先輩谷崎潤一郎が「天鵞絨の夢」を紡いだ中国令嬢の不在、つまりは「美人に逢えぬ不運」をグチグチとこぼし続けます。
そんな芥川先生の陰々たる気分は、昼食で案内された老舗の菜館・楼外楼でいきなり立ち直ります。理由?・・・以下参照、案外ゲンキンで微笑ましい。
楼外楼は蓮の葉で包み蒸した「乞食鶏」が名物菜、西湖北湖畔で今も営業中、昼食時には観光バスも横付けする大レストランとなりました。
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十分の後、我々は老酒を啜ったり、生姜煮の鯉を突ついたりしていた。すると其処へ又画舫が一艘槐の蔭に横づけになった。岸へ登った客を見れば、男が一人、女が三人、男女いずれとも判然しない、小さい赤ん坊が一人である(中略)
私は箸を動かしながら、時々彼等へ眼をやった。彼等は隣の卓子に、料理の来るのを待っている。その中でも二人の姉妹だけは、何かひそひそ話しながら、我々へ流眄(りゅうべん)を送ったりした。尤もこれは厳密に云うと、食事中の私を映すとか云って、村田君がカメラをいじっている――其処が御目にとまったのだから、余り自慢にもならないかも知れない。
「君、あの姉さんの方は細君だろうか?」
「細君さ。」
「僕にはどうもわからない。中国の女は三十を越さない限り、どれも皆御嬢さんに見える。」
そんな話をしている内に、彼等も食事にとりかかった。青々と枝垂れた槐の下に、このハイカラな中国人の家族が、文字通り嬉々と飯を食う所は、見ているだけでも面白い。私は葉巻へ火をつけながら、飽かずに彼等を眺めていた。断橋、孤山、雷峰塔、――それ等の美を談ずる事は、蘇峰先生に一任しても好い。私は明媚な山水よりも、やはり人間を見ている方が、どの位愉快だか知れないのである。
- 芥川龍之介 「江南游記 <西湖(四)>」講談社文芸文庫-
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