中国と米国が繊維摩擦解決を政府間レベルで協議をしているというニュースが報道されています。最近の日米間では、まったく貿易紛争が話題になりませんが、日本は、米国との間でいままで数多くの政府間交渉を行ってきたことを思い出してみましょう。
1960年代の繊維を皮切りに、70年代の鉄鋼製品・カラーテレビ・工作機械・ベアリング、80年代の半導体、90年代の自動車と戦後の日本経済は、米国との間で通商摩擦の連続でした。
ダンピング輸出の防止と米国製造業の保護、さらには閉鎖的な日本市場の開放など公正な貿易競争ルールを構築する過程でもありました。日本からの輸出自主規制で折り合いがつかなくなると、米国政府がセーフガード(輸入制限)や報復関税などの対抗処置を打ち出し、最終的には外圧で米国での現地調達比率を引き上げるとか、日本国内の産業構造自体の転換を余儀なくされました。
元通産省棚橋次官(現石油資源開発社長)は、政府間交渉の日本側代表として矢面に立ち、相互に納得する競争ルール構築に大変にご尽力された方ですが、「まさに”摩擦人生”であった」と述懐されています。
戦前の日本の主力産業は、生糸と綿業といった繊維産業でした。
戦後経済の第1の転換期を迎えた昭和30年(1955年)には、戦後の復興が急速に展開し、輸出奨励のもと、繊維をはじめ、工作機械や産業機械が滝のように米国市場に流れ込んだのです。
その結果、1ドル360円の固定相場制であった円が1971年には308円に切り上げられ、73年からは変動相場制に移行したのです。
また、1973年の第1次石油ショックに引き続き、79年の第2次ショックを経て、日本はインフレ抑制と省エネルギーに努めることになり、産業構造の転換を迫られたのでした。
自動車・半導体などの加工度の高い製品輸出が急増し、80年代には日米半導体協議が締結され、さらに90年代初頭には米国大統領が米ビッグ3を引き連れて自動車摩擦の政府間協議が行われたのでした。
今回の米中協議のニュースに接し、歴史は繰り返すの念を強く感じております。
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